最善を期待しながら最悪に備えるということ
今回はタイトルの通り、『最善を期待しながら最悪に備える』ということについて考えてみたいと思います。
病気を治したい、1日でも長く生きたい
そう願っている患者さんやご家族がほとんどだということは、仕事を通して十分わかっています。
もちろんそう願って頑張っている姿を応援したいですし、その通りになるといいなと思いながらサポートさせていただいています。
でもね、現実って容赦ないんです。
最善とは何か
『最善』という言葉の意味は
- いちばんよいこと。いちばん適切なこと。「最善の方法をとる」⇔最悪。
- できるかぎりのこと。ベスト。「最善を尽くす」
ここで言う『最善』とは癌が治って元気に元の生活に戻れること、あるいは治らないとしても病気の進行が抑えられて1日でも長く生きられること、でしょうか。
そして治すために、1日でも長く生きるために、可能な限りの治療を受け続けたい、ということだと思っています。
すべての患者さんとご家族がこの思いを胸に治療を受けられていることは、私も知っています。
でも知っているからこそ、最悪の場面も想定して準備だけはしておいて欲しいと思っています。
冷酷に感じるかもしれませんが、とても大切なことなんです。
最悪とは何か
『最悪』という言葉の意味は
最も悪い状態であること。また、そのさま。「最悪な(の)場合」「事態は最悪だ」⇔最善/最良。
ここでの最悪とは『最も悪い状態』、つまり治療の術がなくなり死に向かうこと。
誰しもが決して望まない、避けたい現実です。
でもね、人には必ずいつかお迎えが来ます。
癌という病気であってもなくても。
「そんな縁起でもないこと考えたくない」という人もいるでしょう。
私もたくさん言われてきました。
ですが、最期のお別れが望まない形になることが患者さんも残された大切な人たちにも後悔という気持ちを残すかもしれない、ということも考えてみて欲しいなと思います。
最善を期待することは悪いことではない
「最悪にも備えて」と言われると、治りたい、長生きしたいと期待することはいけないことなの?と思われるかもしれません。
そんなことは全くありません。
むしろ期待を持つことは良いことです。
矛盾してるよ!と思われるかもしれませんが、期待を持つということは治療に向き合う力、生きたいというエネルギーにもなりますよね。
人には必ず人生の目標や希望として持っているものがあるはずです。
健康なときには意識していなかったことも、命の問題と直面したときに自分の中にはっきりとわかるものがあると思うんです。
その希望は決して諦めて欲しくない。
病気になんか負けない、したかったことを成し遂げたい、そういう強い気持ちはとても大切ですから。
では、治療中はどのように過ごしたらいいのか。
治療を最優先にすることなく、これまでの生活を維持すること、したいと思っていたことを後回しにしないで今できることをやっていくこと。
病気の私、ではなく、私の生活の一部に病気の治療が重なったと思えたらいいなと思います。
すべてを犠牲にして治療を受けるのでは、生きる以外の意味がなくなってしまいます。
ただ生きてさえいればいいという人ががいることも事実ですが、生きることの喜びを感じられる、というのが本当の願いだったりします。
最悪に備えるとは
癌という病気を持つ場合の最悪とは先に述べたように『治療の術がなくなり死に向かうこと』と思っています。
誰もそんな現実は受け取りたくないのですが、人には寿命というものがあることも事実です。
万が一そのときがきた場合、あなたはどんな生活を送りたいか、どこでどう療養したいか、を考えることです。
簡単にいうと身辺整理、ですね。
人の整理、お金の整理、各種手続きの確認、過ごしたい場所で過ごせる準備などです。
人の整理
縁を切れということではないです。
- 会っておきたい人
- 病気のこと、お別れが近いことなどを伝えて欲しい人
- お見舞いに来て欲しい人、来て欲しくない人
- 自分の気持ちを伝えたい人
もしも自分で伝えられなくなったとき、代わりにご家族にお願いすることになります。
ご家族がわかりやすいように記録に残しておくといいかもしれませんね。
小さいお子さんがいたり、遠くで会えない人がいたりする場合は、手紙やビデオを残される方もいます。
どんな方法で何を伝えたいかなども考えておく必要もあるかもしれませんね。
お金の整理・各種手続き
お金の整理はできるなら元気なうちにしておくことをお勧めします。
銀行など本人が出向かないと手続きが難しいことがあるからです。
最低限の口座だけにする、解約できるものは先にしておくなどです。
- 銀行・証券口座の確認、解約
- 資産の整理・分配のこと
- さまざまなアカウントなど残したくないもの
他にもたくさんあると思います。
利用しているものが何かを確認して必要な手続きをしておくといいでしょう。
ご家族に内緒にしていたものもちゃんと整理しておきましょう。
過ごしたい場所で過ごせる準備
この準備を一番嫌がる方が多いのですが、これが一番大切なことです。
そのときになって「こうしたかった」「ああしたかった」といっても体力が落ちて動けなくなってからでは遅いのです。
- どこで過ごしたいか(自宅、病院など)
- 病院の場合は一般病棟か緩和ケア病棟か
- どこの病院なのか
- 希望する場所で過ごすために必要なことは何か
- 介護保険、訪問看護、訪問診療、福祉用具などの準備
- 家族に自分の希望を伝えられているか
では、いつこれらのことを準備したらいいのでしょう。
がん患者さんは自分の身の回りのことはできるくらいの体力がギリギリまで維持されることが多いんです。
昨日まではいつもと同じように過ごしていたのに、今朝になったら急に起き上がれなくなった、食べられなくなった、つらい症状が出てきたなど、変化は突然にやってきます。
まだ動けるし自分のことはできるからそういうのは早いよ。
動けなくなったら考えるね。
こんなふうに言われる方が多いのですが、動けなくなってからでは遅いというのは前述の通りです。
上の図で示したように、いつ動けなくなるのかは誰にもわからないので、もしかしたら明日にでもその日がやってくるかもしれないわけです。
いざというとき、この準備ができているかどうかが、自分の望む時間を過ごせるかにかかっているといっても過言ではありません。
最悪への備えは早い遅いはありません。
必要な備えをしてから最善を期待して治療に臨んで欲しいと思っています。
準備をしたけどそんな必要なかったね!となればいいんです。
最善を期待して最悪に備えることの大切さ
最善を期待してその通りになることが確実ならいいんです。
でもがん治療は必ずしもそうではありません。
万が一に備えておくことはある意味保険だと思っていただくといいのかもしれません。
理想の道から外れてしまったとき、それでも自分の望む方向を選びたいという気持ちがあると思うんです。
選択肢をたくさん用意しておく。
最善しか道を見ていなかったら、その道が閉ざされてしまうと何も見えなくなってしまいます。
いろいろな場面を想定して、そのとき自分ならどうしたいか、ゆっくり考えることができる時間があるときに準備をしておきましょうということです。
たくさん用意した選択肢が無駄になることは損ではありません。
むしろ良かったと胸をなで下ろすのではないでしょうか。
『縁起でもない』ということではないんです。
ぜひ、『最善を期待して最悪に備える』を実践していただきたいと思います。